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源義経

 

 

●(1159~1189)享年31※史実上

 

平安時代末期の武将。源義朝の九男で、母は常盤御前。鎌倉幕府を開いた源頼朝は異母兄(12歳年上)。

父・義朝は平治の乱で平清盛に戦いを挑むが敗死。当時赤子であった義経(牛若丸)は敵である清盛のもとに

常盤御前と共に引き取られ、7歳になると京都の鞍馬寺に預けられた。(稚児名・遮那王) 

 

後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡のもとで青春時代を過ごすこととなる。

ちなみに弁慶との初の出会いは1176年(18歳)、京都の五条にて。

1180年に頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、1184年には「宇治川の戦い」にて従兄弟である木曽義仲を討つ。

「一ノ谷」「屋島」「壇ノ浦の合戦」において平家を滅ぼし(1185年・義経27歳)、その最大の功労者となった。

(これらの戦いの中で有名な「鵯越の逆落とし」や「八艘飛び」等の伝説が後の世に伝わることとなる)

 

その後、頼朝の許可を得ずして官位を受けたり、平家との戦いにおける独断専行などによりその怒りを買い、

頼朝と対立し朝敵とされてしまう。(ちなみに有名な白拍子である「静御前」と出会うのもこの辺り)

捕縛・追悼の命が伝わると再び藤原秀衡を頼ったが、秀衡が世を去ると頼朝の厳しい追及を受けた当主・藤原泰衡に

攻められ、衣川館で自刃し果てたとされている。(…となっているが、実は海を渡りモンゴルへ行ったとか様々な伝説も残る)

 

戦術の天才でもあった義経は数々の伝説を全国各地に作り、「悲劇の英雄」とされている。

 

 

 

 

 

 

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